総走行距離5000km突破!|私のランニング歴について

2017年からNike Run Club(NRC)のアプリを使って、ランニングをぼちぼちするようになって、今日のランでようやく総走行距離5000kmを突破して、ランレベルが”BLACK”にあがりました。



7年間、あんまり走らない時もあったけれど、ここ2年間くらいは引っ越して、近くにいい感じのランニングコースがあるためか、ランニングを習慣化できて、かなり距離を積むことができています。

5000km突破記念に初期の頃からのランニング歴を振り返ってみようと思います。

2017年に走り始め頃は、そこまで走るということを自発的にやっているわけではなくて、職場で駅伝大会に出るのに、選手として駆り出されていたのがきっかけで、嫌々走っていました。
ぶっつけ本番で走ってもいいのだけど、走る習慣が全くないまま、5kmほどの距離を走るのはかなりの地獄を味わうため、体を慣らすために走っていました。

Nike Run Clubを使った理由は、初めからiPhoneに入っていたから。

この頃は5kmくらいをちょろっと走る程度。

私が初めてNRCを使って走ったのが2017年11月。
4kmほどの距離をだいたい5分10秒くらいで走っていた。
中学の頃陸上部(短距離)で、わりと綺麗なフォームで走れるし、シャトルランは余裕で100回超えるくらいには持久力があったため、本格的なランニングの経験はなくともそこそこ走れてました。

あまりモチベーションが上がらないまま、数回ほど走った私でしたが、とあることがきっかけで「走る」ことに魅力を感じるようになります。

その2017年の12月大迫傑選手が自身2度目のマラソンとして福岡国際マラソンを走ったのでした。
その時の大迫選手の走りは衝撃的でした。
日本人でこんな走り方できるんか!っていうケニア人ランナーのような腰高で跳ぶようなつま先着地の美しいフォーム。
そして、その美しいフォームのまま最後まで走って、当時の日本歴代5位の2時間7分台のタイム。

フォームもだけど、当時所属していたナイキオレゴンプロジェクトのユニフォームとキャップを被った姿がもうめちゃくちゃ格好良くて、それを見て、「私、大迫になりたい」って思ったのだった。
当時あまりシューズやウェアにこだわりはなくて、昔買ったアディダスのランニングシューズを履いていたのだけれど、大迫選手の真似をするために全部Nikeにして、日差しがなくても白いナイキのキャップを被った。
そのころに、シューズも今も使っているNikeのペガサスとズームフライも買った。

フォームも大迫選手を意識して、素人のくせにフォアフットにした。というか、昔短距離をやっていたせいで、初めからつま先着地気味だった気がする。

初代ズームフライの遺影。履き潰して、さようならの前のお姿。

あと、この頃初めて履いた厚底カーボンの初代ズームフライもかなり衝撃的で、平地でも下り坂みたいにどんどん足が前に出て転がっていく感じが、走っていてとても楽しかった。
走る自分の影を見て、「大迫っぽい」って思っていたし、「大迫みたいやな」って職場の人にも言われてた。

そんな感じで、私にとって大迫傑選手は今も憧れの存在。
一時期、現役を離れたけど、今もバリバリ走ってくれて、嬉しい。

そんな感じでランニングを始めたものの、走るのはだいたい冬場の駅伝大会がある頃だけで、仕事が忙しくなる3月・4月頃から走る時間を取れなくなり、夏も暑いから走らず、いつの間にか走ることを忘れるというのが数年ほど続きました。
たまに思い出したように走ることはあっても、習慣化されていませんでした。

2017年末から走り初めて、年明けて3月まではいい感じに走り続けていたけれど、4月に部署が変わって、仕事ガツガツやるようになって走行距離は激減。9月からは一切走らず。

2019年は全く走らず、年9回、36kmのランニング。今なら1週間で余裕で走る走行距離。


2020年頃、職場環境が変わったこと、仕事をガツガツやりすぎたこと、そしてコロナ禍の閉塞感から、メンタルの不調に悩まされるようになり、夜眠れなくなり、日常生活の維持が難しくなってきました。

これまでなんとなく感じていた生きづらさが「発達障害」として思考や行動に現れ、それを自覚するようになってきて、精神科を受診。
ストラテラという発達障害のお薬をもらって飲む生活を1年ほど続けました。

薬の効能かどうかわからないけれど、当時混乱していた頭の中が、だんだんと整理整頓されてきて、生活の維持と自分が進むべき道が見えてきました。そんな中、より良い生活を取り戻すために、ランニングを再開しました。
そうするとどう頑張っても、布団に入って2時間くらい眠れなかったのが、すぐに眠れるようになり、生活も整ってくるようになり、少しずつランニングが習慣化されてきました。
この頃はどちらかというと夜のランがメイン。

お薬の服用とたまに通院する中で、徐々に生活と自分自身を取り戻してきて、行動的になり、そのまま転職&引越し。
自分の思うままに人生を切り開くべく行動したのでした。

メンタル不調が顕著に現れだすのが、この年の秋ごろ。冬から春先にかけてアホみたいに働いていた。
そして、4月に職場環境が変わって、働けど働けど、思うように物事が進まず、確か、11月頃にあまりの情緒不安定さにやばいと思い、病院へ行った思い出。
相変わらず、3月4月が忙し過ぎて、走れていない。それを乗り越えて走りだしてから、仕事やめて、引っ越そうという気持ちになってきたのだった。

2022年4月に、転職&引越し。
私が引越した先は京都。
当時、田舎に住んでいた頃から、たまに一人で高速バスに乗ってふらりと遊びに行っていた馴染みのあった場所で、ずっと前から、次に住むなら京都がいいなと思っていた。
旅行で来た時に、朝方ホテルから鴨川を走ってみたらものすごく気持ちが良かったというのも京都に住む決め手にもなった。

京都に引っ越してからは、さらにランが習慣化され、最低でも週3くらいで走るようになった。

2023 京都マラソン

そんな中、京都マラソンのランナー募集のポスターなどを街中の掲示板で見かけて、エントリー。
そういえば、私はそれなりに走っていたけれど、あくまで健康と生活の維持のために走っていたので、あまりレースに出る意欲はありませんでした。それに、そこそこスピード出して走るのは好きだったけれど、じっくりコツコツ長い距離を走るのが好きではなくて、せいぜい走っても10kmちょっとくらいだったので、40km以上走るのは考えられなかった。
でも、陸上競技フリークとして、高校駅伝でお馴染みの西京極のたけびしスタジアムから走れるっていうのも魅力的だったし、京都に住んでいるのだし、せっかくだから走ってみようという気持ちが強かった。

エントリーはしてみたものの、9月には河原でぶっこけて、打ち身と捻挫で1ヶ月くらい走れなくなるし、相変わらず、長い距離は走れず、20kmまでしか走ってなかった。

でも、元々の心肺機能と筋持久力はかなりあるのと、普段の練習では1km5分を切るペースで走っていたこともあって、脚が止まらなければ、4時間は切れるかなぁと予想。

結果は3時間38分ちょっとくらい。
35kmくらいのところで脚が痛くなり過ぎて少し歩いてしまったけど、よくわからないままやったカーボローディングもうまくいったみたいで、脚以外はかなり元気だった。
なので、次走ったら、余裕でサブ3.5はできるだろうと思ったのだった。
ちなみにこの初マラソン以降、特技は「マラソン」ということにしている。

去年2023年のラン。4月に捻挫したのが響いて、右膝もおかしくなって夏まで走れず。

2024 丸亀ハーフマラソン

次の年もとりあえず京都マラソンを走っておこうと思ったのだったけれど、エントリーして、抽選も当たっていたのに、そこまでの意欲がなかったようで、すっかりエントリー料金を支払う手続きを忘れてしまい、出られず…
せっかく、それなりに走れていたので、とりあえずレースに出ておこうと思ってハーフマラソンでは有名な丸亀ハーフにエントリー。目標の100分以内で走って、しかも入賞もできてしまった。(一般の部だけれどね)
大人になってから表彰状やらメダルをもらったことはなかったから、すごく嬉しかった。

初マラソンの京都マラソンの時にも思ったのだけれど、私は明らかに走る才能があると、この時に自覚。
だから、走り続けていたら、サブ3くらいいけるのではないかと思ってきたので、とりあえず今も走っている。

そういえば、幼少期を振り返ってみても、私は長距離走が得意で、小学校のマラソン大会では校内記録を出していた。おじさんからは、「お前は将来実業団やなー」って言われていた。

中学で陸上部に入って主に短距離をやっていた時も、冬に走らされる駅伝がそこそこ速かったので、顧問に「長距離やるか」って言われた。
その時、私の入っていた陸上部はみんな短距離しかやっていなかったし、リレーで走るのが楽しかったっていうのもあって、なんとなく空気読んで「リレー出たいんで短距離やります」って言った。
本当は中長距離をやってみたい気持ちはあったけど、誰もやっていない中長距離をやる勇気がなかったし、リレーメンバーの子たちと群れられなくなるのが怖かった。(☜今の私のメンタリティからすると考えられないけれど、中学生の頃はいかに友達と群れていられるかっていうのが重要だった。)


今になって、あの時、長距離やっていたらとか、高校になっても陸上続けて、長距離に転向してたらいいとこまで行けたのではないだろうか…と思ってしまう。

まぁ、そんなタラレバを今更言ってもしょうがないので、とりあえず、健康維持とより良い人生のために走っている。

今年のラン記録


今年は2月に丸亀を走って、そこから順調に月間は200kmを超え、過去イチのペースで走っていたのだけれど、7月にコロナと思しきハードでしつこい風邪をひき、ほぼ走れず。
8月は夜な夜なオリンピックで陸上競技を観戦していたため、走れず。(私はランナーである前に陸上競技ウォッチャーであり、ファンである)
9月もまだ暑くて、あまり距離が積めていない…

こんな感じで夏場にガクッと調子を落としているけれど、涼しくなったら、30km走とか、パンランとか紅葉見に行ったりとかして楽しく走っていきたいものです。

あと、ひたすら一人で走っているので、気が向いたら練習会とかに参加してみようかとも思っている。

ちなみに次にNRCのランクが上がるのは15000km。
150000kmで最上位の”BOLT”というランクになるらしい。

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